S29年卒のプリンス・・・・光源氏に魅せられて  森哲一氏

「s29年卒のプリンス」

 

同窓会でs29年卒の女性同級生の方が森さんのことをそう紹介してくださったことがあリます。

風貌も上品な語り口も本当にプリンスそのものです。

 

プリンス森哲一氏はどんな高校時代だったのでしょうか。

激動の幼少期から語ってくださいました。

 

        1歳 父の中国廣東支店の時代




 

【激動の幼少期】

 

  S10 上海で生まれる。

父親が横浜正金銀行勤務だったためイギリスの租界地となった上海で優雅な生活

 

  日中戦争勃発

    命からがら日本へ帰国

    軍艦に守られて神戸港に帰港

 

    神戸での暮らし(3歳)

    

東京へ父転勤。目黒に暮らす。

    

       太平洋戦争開始

    明治神宮に戦勝祈願、人のあふれた参道を歩く記憶。

    日本が香港占領と同時に横浜正金銀行香港支店へ父赴任。

    シンガポール占領と同時にシンガポール(昭南島)支店に転勤。

    シンガポール(昭南島支店)勤務のまま、軍属に任命され

    それからの移動は多くは軍用機。

    移動中マラッカ海峡でその軍用機が墜落し父戦死。(7歳)

    靖国神社合祀。

 

母親の実家岡山へ転居。(今の表町)

 

   岡山空襲10歳)

    実家が焼失。

    児島の親戚の農家で国民学校へ通う。

 

    岡山に戻り小学校、丸の内中学、岡山操山高校。

             3歳  父の神戸支店の時期



【岡山操山高校時代】

 

緊張と入院の1年時

 

「全然プリンスではなかったなあ。

当時東大に入るには朝日高校が断然有利だった。

僕は一中東大という夢を抱いていたから最初一女だった操山に入った時は思った感じではなかったので、少し緊張していたと思う。

受験に強くなろうと思って、科学部に入ったんだ。」

 

事件はそこで起こった。

 

「秋の文化祭の時、苛性ソーダと硫酸にいろんなものを入れてアルコールランプにかけて、実験を観客に見せるショーをやろうということになった。

当時は今と違ってなんでも自由に使えたんだね。

覗きこんでいる時、ガラス管が大爆発して、苛性ソーダや硫酸などの化学物質がガラスとともに僕の顔に飛び散って大怪我をした。目の下ギリギリ。間一髪だった。

その時かかった眼医者が非常に優秀で、濃厚化学物質による失明の危機と顔に大きな傷の後遺症から逃れられるという奇跡的幸運に恵まれた。幸運の女神がついてた。」

 

 

 

生徒会副会長とESSの2年時

 

「僕は2年7組だった。

友人たちに恵まれた素晴らしいクラスだった。

その同級生たちに担がれて、生徒会の副会長に立候補することになったんだ。

朝の朝礼のあと、校長先生の話のあと、大きなプラカードを持って応援演説してくれる友人たちと立候補の演説をしたことを思い出す。

 

朝日高校に入れなかった悔しさを東大に入ることではらそうと思っていたのに、友人たちに声掛けられて自分が生徒会副会長をやるとは思ってもいなかったけれど、当選した。生徒会活動は大きな思い出になっている。

 

それから大きかったのはESS

僕は海外生活していたので英語が大好きだったのでESSに入った。

岡山県のスピーチコンテストに出ることになり、入賞することができたんだ。

当時は2学年上が一女の最終学年で、先輩たちが駆けつけてくれて、僕のスピーチのために沢山指導をしてくれたおかげで入賞出来たと思う。

その場で時間を与えられて即興で英作文してスピーチする部門でも入賞した。

 

その後運命の女神が微笑むようなことが続く

英語劇をやることになり、「レミゼラブル」をやり始めたら、主役級をやる3年生が受験理由にやめてしまい、僕ら2年生と1年生にチャンスがやってくることになった。

僕はジャンバルジャンだ。

コゼット・コゼットをいじめるお母さん・意地悪姉妹。。。

みんなコゼットになりたい中、女子3人を呼んで不公平にならないようにジャンケンで配役を決めた。こうして和気あいあいと文化祭の舞台まで力を合わせて、英語のセリフを暗記して頑張った。

終戦直後のビデオもない中で本当によく覚えられたと思う。

コゼットをやったかわいい人はもう亡くなってしまったけれど。

同級生達が舞台装置、背景の絵など整えてくれた。

文化祭の舞台は家族や友人も来てくれたけれど素晴らしいものだったと褒めてもらえた。思い出に残る充実した時間だった。

プリンスというなら一番プリンスらしい2年生だったと思う。

 高校2年 ESSで英語劇Cosette(コゼット レ・ミゼラブルの一部)上演。昭和29年秋の文化祭。ご指導下さった杉山先生(英語)や3年生、そして舞台装置・背景の絵などを整えてくれた同期生達と共に懐かしの音楽堂の前にて記念撮影。

   Cosette

Madame Thenardierから夜遅く森の中に水汲みに遣わされたCosette(1年大石さん)にJean Valjean(2年時森氏)が背後から声をかける場面から始まる。

  Jean Valjean:Hello,my child.This is surely heavy for you,isn't it?

  Cosette:Yes,sir.

  Jean Valjean:Well,let me have it with me.

こうしてCosetteの持っていた重いバケツを Jean Valjeanが持って引き続き話しながら歩く場面。

 


生徒会会長と受験の3年生

 

「3年になった僕は受験に専念するつもりでいた。生徒会ももうやめることに決めていたから、立候補もしないつもりいた。

ところが僕を大切にして下さっていた先生が校内の廊下で通りすがりに『え、立候補しないのか~~』とひどくがっかりした悲しそうな顔をなさった。

それを見て急に僕は先生の気もちに応えたい、と思い帰宅して母と祖母に許しを得て相談して、立候補することにした。

先生はとても僕を大切にしてくださっていたから。

そして幸い選挙で当選して最後の学年を生徒会長を務めることになった。

忙しくも充実した3年時だったよ。」

 

        大学1年 駒場構内



友からきた1通のハガキ  大学時代】


東京の大学に入って浮かれた僕は都内で買い物をしたり、洋書の本を買い漁ったり、東京が楽しくて楽しくて親戚の家や友人の家を飛び回っていた。

そんなある時同期の友人の安藤から1通のハガキが届いた。

 

そんな風に浮かれまわっている時ではない。

早く故郷に帰ってお世話になった方々に御礼を言うべきです

と書いてあった。

 

僕はそれを見た瞬間、あっと思い、駅に飛んでいって切符を買って、すぐに岡山に帰った。

そういう素晴しい動きをする安藤は後に警視総監にもなった親分肌で世話見のいい人格者。2年7組の仲間だった。

人生の一番多感な時代に、親友とよべるような素晴しい友人達に囲まれていたんだ。

岡山に帰ったら、彼も含めて友人数人がお祝いに駆けつけてくれた。

僕は浪人したのでその苦しさをよく知っていた友人が、母親ともども、お祝いしてくれたことが何より嬉しかった。

 

こうして思い返してみると、希望した朝日高校に配置されなかったことを、大学で取り返そうと考えていたけれど、操山高校にいた3年間は素晴しい生涯の友人と恩師、先輩後輩に囲まれていたのだということがよくわかる。」

【源氏に魅せられて】


森さんのもうひとつのプリンスの顔。

高校時代に出会った源氏物語への思い。


森哲一さんの人生には何度も幸運の女神が寄り添っていた場面があります。

 

それはご本人の人柄と努力、そして人として真っ直ぐな心に引き寄せられたものであることがよくわかります。

 

幸運な後輩としてインタビューさせていただき、学ぶことの多いとても幸せな時間でした。縁あって同じ高校に学べたこと、本当に光栄です。

ありがとうございました。               

                  

 

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コメント: 4
  • #1

    今倉正司 (日曜日, 10 1月 2016 16:52)

    森哲一様

    初めてコメント致します。
    丸之内中学で森様と同級生でした、今倉英子の息子の正司と申します。
    お正月に帰岡した折、母宛てに頂いた年賀状に書かれていたこのアドレスのページを母が見たいと言い、私の携帯タブレットで母に見せてあげました。

    昔の森様のお写真を見て、記事を読んでとても喜んでおりました。
    中でも「源氏物語」と森様のご縁について興味を持ち、今度会ったら源氏物語についてお話ししましょうと、言伝を頼まれました。

    母は、子供の頃から能楽の小鼓をずっと習いつづけており、能の題材に源氏は多く出てきます。また、祖母からもらったという与謝野源氏が今でも家にあり、母にとっても源氏は大切なもののひとつのようです。

    他にも、同窓会で以前、森様と「アカシヤの雨」をデュエットしたことなどを楽しそうに話していました。
    おかげ様でお正月の楽しいひとときを過ごすことができ、心から感謝致します。本当にありがとうございました。

    今年の冬はこれから寒さが厳しさを増すそうです。
    森様も皆様も、くれぐれもお身体健康に、益々のご健勝を願っております。

    思わず長い文になりました。
    乱文乱筆ご容赦くださいませ。

  • #2

    森 哲一 (月曜日, 18 1月 2016 19:02)

    このたびホームページに掲載していただき光栄です。

    推薦して下さった同期の城口さんはじめ皆さん 有難うございます。

    インタビューしてそれを取纏めて下さった後輩の 真心と聡明さを兼ね備えた辻さん 有難うございます。

    そして この会の色々な行事を運営して下さっている皆様 有難うございます。 
         ・・・森

  • #3

    小笠原 健 (月曜日, 03 12月 2018 21:34)

    S62年卒です。お嬢様に紹介いただき拝見いたしました。25年程前に、同じ職場に勤務させていただいておりました。
    森さんのエッセー、興味深く拝見いたしました。文武両道を貫く正に操山魂を感じました。我々の世代は今年50歳となり、東京で初めて同窓会が開催されました。やはり「操山ファミリー」は素晴らしいですね。
    今後ともよろしくお願いします。

  • #4

    辻雅子 (月曜日, 03 12月 2018 22:42)

    小笠原様
    コメントありがとうございます。
    HP管理者の辻と申します。
    森様にコメントご連絡しました。

    これからもよろしくお願いいたします。